EcoSmart Fire Magazine
Vol.5
暖炉は建物と人の中心にある
そこにいるだけで、心にも陽光が降り注ぐような、「自由学園明日館」。1921(大正10)年に自由学園の校舎として誕生した、米国人建築家のフランク・ロイド・ライト(1867-1959年)と弟子の遠藤新(1889-1951年)による重要文化財だ。近代建築の巨匠と呼ばれるライト作品の特徴のひとつは、低い屋根が水平に伸びる「プレーリースタイル(草原様式)」。芝生の広場と調和したような建物の中には、彼が70年間のキャリアの中で一貫して設けていた暖炉が現在もある。
「ライトは約70年間、現役として活躍し続け、約500の作品を手がけました。彼の作品は変遷を重ねていますが、一貫しているのは暖炉を設置していることです」と館長・福田竜さん(以下「」同)。 ライトは、自由学園創立者の羽仁もと子・吉一夫妻の目指す教育理念に共感し、設計を手がけることに。夫妻の「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という思いを投影した『自由学園明日館』の扉を開ける。
館内に入ると、まずは天井の低さに驚く。仄暗い廊下を進むと、突如開放感のあるホールが現れた。これは空間に広がりを持たせるための演出だという。特大の窓から、光が差し込んでおり、陰影の対比に心が目覚めたような気持ちになる。 窓にはライト建築の特徴である細かい幾何学模様があしらわれており、同時期に制作された『帝国ホテル二代目本館』を思わせる
窓の正面に石造りの暖炉があり、福田さんが特別に火をつけてくれるという。
「明日館はライトの数少ない学校建築です。1997年に国の重要文化財に指定されたものの、当時は老朽化が目立ちました。そこで、1999年3月から2001年9月にかけて文化財の保存修理工事が大規模に行われたのです。この石造りの暖炉はしっかりしていて、手を入れていません。当時の形のまま、100年以上、ここにあるのです」
ライトは暖炉を、建物の中心であり、精神的な支柱として重視していた。“火のあるところに人が集まり団欒し、安らぎの場を共有するのだ”という言葉も遺している。重視していたからこそ、暖炉のデザインを1000以上も手がけている。さらに、どれひとつとして同じものはない。この明日館にも5か所の暖炉がある。
「このほかにも食堂と教室に2カ所、遠藤新の講堂に1ヶ所あり、いずれも大谷石を使用しています。実際の火を燃やす暖炉ですから、煙突はあります。ただ、設計の工夫で外から見えないように設置されているのです」
暖炉はいいが、煤と煙が発生する。その排気に必要な煙突は、空間のノイズになるとライトは考えたのだろう。当時、煙突の必要がないバイオエタノール暖炉は存在しなかった。ライトが現代に蘇ったら、館内のどの場所に設置するのだろうかと想像する。
「ライトは内部と外部の空間を融合させるという哲学を持っており、煙突を正面から見えない場所に設置しています。それには、とても難しい設計や工事が必要になり、“どんな細部もおろそかにしてはならない”という精神性が表れているようにも感じます」
いよいよ、暖炉に火をつける。ライトは1905(明治38)年に観光で初来日し、その後帝国ホテル設計のため、1919(大正8)-1922(大正11)年まで日本に滞在する。来日時に手がけたいくつかの作品は、現在も日本に現存している。アメリカ本国以外に作品があるのは日本だけだ。
「中でも実際に暖炉に火を焚いているのは、明日館だけでしょう。重要文化財で裸火の使用は認められておらず、使えないと思い込んでいたのですが、ライトの魂である暖炉を使ってみたいと消防署に相談。すると、法令の範囲内で使用できることがわかりました。今は、消防法規に基づき管理を徹底しながら、夜間見学日などに使用しています」
福田さんは手慣れた様子で火をつける。着火の“技術”を会得するまで、何度か失敗もしたそうだ。今では、火が美しく見えるように薪の位置を変えるなど、“火の世話”はお手のものだという。薪が燃える香りが空間に満ち、時折、パチパチと薪が弾ける音がする。すると、館内にいたスタッフや、建物を研究中の大学生たちが自然と集まってきた。
「暖炉には、同じ時間と空間を共有する不思議な力があります。人間の祖先は、火の周りに集まり安らいでいました。その太古の記憶が呼び覚まされることがわかります」
ゆらぐ炎を見つめていると、心身に沈澱した澱が溶けていき、疲れが癒やされていくようにも感じる。火の温もりが、穏やかな優しさとなって全身を包んでいく。
「1921(大正10)年、女学校として開校した当時、今のような暖房器具はありませんでした。創立者の羽仁夫妻は、生徒たちが暖かい空間で学べるように、複数の暖炉を設置したのでしょう」
ふと、大正時代の女学生たちが、暖炉の周りに集う光景が目に浮かんだ。ここには当時から使われている椅子が現存する。六角形の背もたれがついたそれは、旧帝国ホテルの孔雀の間にある『ピーコックチェア』と似ているが、水平のスリットが入っており、素朴で優しい。よく見ると、脚も幾何学的なデザインがされていることがわかり、家具も建物の一部と考えていたライトと遠藤の思考が伝わってくる。
この椅子に腰掛け、未来の可能性に胸を弾ませる大正時代の少女たち。その息遣いが暖炉の周りで感じられた。暖炉には時代を超える力があるのかもしれない。
2階の食堂にも、暖炉がある。ここは現在、コーヒーや紅茶を楽しめる喫茶室になっている。結婚式、展示会、パーティーなども開催されているという。
「この暖炉も、使用することがあります。2つの暖炉が点火すると、建物全体が暖かくなります」
天井が高く、開放感があるのに、火は人がいる空間を温めてくれるのだ。ここの照明器具もライトのデザイン。工事の途中で天井高の高さに気づき、急遽デザインしたものだ。他にも棚やトップライト(天井窓)、窓枠なども手がけている。
「もう20年以上、ここで勤務していますが、見るたびに新しい発見があります。建物を“読む”キーワードは“陰影”です。私はホールの大きな窓が作る光と影にも注目しています。「季節によって入光角度が異なるのですが、南中高度が一番低い冬至(12月20日ごろ)の日には、光が暖炉近辺まで注ぎ、その先端は暖炉を示し、また、窓枠の影がとても印象的に映ること気づきました。ライトは陽の光でも暖炉を強調したかったのかなと感じました。」
北半球で最も日が短くなり、寒さが増してくる日に、窓からの光の軌跡が暖炉を指す。福田さんはその様子を、公式インスタグラムで発信。大きな反響を得た。
建物内にいるほど、天井が低く抑えられた空間と、広く開放された空間のリズム感や、幾何学模様が生み出す陰影の心地よさを感じるという。
「ここは、“使いながら保存する文化財”として、多くの人に利用いただいています。だからこそ、床板に多くの人の靴跡が刻まれ、それもまた、新たな陰影を生み出しています。私の座右の書は谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』というエッセイ。学生時代から読み返しているのですが、この20年間で、より理解が深まったような気がします」
『陰翳礼讃』(1933〈昭和8〉年)は日本の美を探求した書として、世界中で読まれている。そこには、日本の建築特有の障子(しょうじ)から差し込む光、ひさしが生み出す影についても扱い、文豪独自の鋭い分析がされている。
柔らかい光を感じる方向を見ると、ライトデザインのフロアライト『TALIESIN』があった。障子を連想するデザインであり、和紙越しに感じる光のようだ。調べてみると、デザインされたのは、ライト初来日から6年後の1911年だった。
建物を出ると、日が暮れていた。門を出てから振り返ると、明日館は両翼を広げるような形をしており、宇治の平等院鳳凰堂にも似ていると感じた。そこから優しい光が放たれ、影は芝生に伸びていた。その美しさに息を呑む。
1922年、離日前にこの建物の落成式に参加したライトは、“自由なる心こそ、この小さき校舎の意匠の基調です。……生徒はいかにも校舎に咲いた花に見えます。木も花も本来一つ。そのように校舎も生徒もまた一つに”というメッセージを残している。
建物と自然の完璧な調和こそ、ライト建築の真髄なのだ。それから100年が経過し、おそらく次の100年もやってくるだろう。その世界の中心には、いつも暖炉の炎がゆらめいている。
インタビュアー
前川亜紀
撮影
森崎健一
自由学園明日館館長
福田竜
自由学園明日館館長
福田竜