EcoSmart Fire Magazine

火と人

Vol.6

「炎の周りで安らぎを共有」ライトの建築哲学を体験

火と人 Vol.6

海と山、御用邸に育まれた風光明媚な葉山の町。明治時代から別荘地として発展し、政財界人や文化人から愛されてきたこのエリアに、建築家・フランク・ロイド・ライトの愛弟子・遠藤 新(1889- 1951年)が設計した加地邸(1928〈昭和3〉年竣工)はある。建築主は大正時代に三井物産ロンドン支店長や役員を歴任した加地利夫(1870-1956年)だ。ライトの建築哲学が随所に現れているこの建物を、古き良き時代の別荘ステイが楽しめる宿泊施設『葉山加地邸』として再生させたのは、オーナーの武井雅子さんだ。修築を手掛けた建築家の神谷修平さんとの対談を行った。

左:武井雅子 右:神谷修平

昭和初期、竣工当時のまま時が止まっている

――葉山は明治時代から別荘地として知られ、当時の上流階級の人々が建てた素晴らしい邸宅がありました。そのなかでも加地邸は格別だったことが想像できます。芝生の庭、大谷石のアプローチと柱、銅葺の屋根、凝った意匠の窓や壁などの美しさが心地よく調和した外観に魅了されます。

武井雅子さん(以下・武井):だからこそ、地元の方を中心とした保存会により、守られてきたのでしょう。現存する遠藤新の作品の中でも重要な作品とされ、登録有形文化財の指定も受けています。

私が加地邸を初めて訪れたのは、2015年の夏のこと。敷地に足を踏み入れたとき、まるで、竣工当時のまま時代が止まっているかのような感覚を覚えたのです。

建物内に入ると家具も室内装飾も昭和初期のまま。私がこの邸宅に入るまで、そこにパイプをくゆらす紳士、洋装の貴婦人、着物の女中さんたちがそこにいたのではないかと思うほどの気配が残っていました。その時に「加地邸を保存する」という強い思いが生まれたのです。

――当時のオーナーは、建築主の加地利夫さんのお孫さんに当たる方と聞いています。

武井:はい。引き継ぎにあたり、お話を伺いましたが、特に条件はいただきませんでした。しかし、建物は竣工当時から老朽化はしていましたが、圧倒的な美しさをたたえたまま残っています。可能な限り現状を維持するというのは、加地さんのご家族が重ねてきた歴史と、建物そのものの意思だと感じました。

それと同時に、観賞用の建物ではなく、実際に滞在を楽しんでいただけるようにしたかった。そこで、宿泊施設として「使いながら保存する」ことを決めたのです。

――当時、修繕が必要だった加地邸に新しい命を吹き込んだのは、神谷修平さん。九段下の『旧山口萬吉邸』(1927〈昭和2〉年竣工)の修築を手掛けた建築家です。加地邸の特徴は、山の勾配に沿うように、部屋が棚田のように配されている構造。ライト建築の特徴である自然と一体化したプレーリースタイルを、甦らせました。

神谷修平さん(以下・神谷):外観もそうですが、室内も自然と一体化するような工夫がされています。それは、家具や装飾に多用されている、六角形のモチーフ。自然界には、蜂の巣、柱状節理の岩、雪の結晶などハニカム形が多いです。

遠藤新は、葉山の自然と建物を一体として考えていた。その痕跡は随所にありました。それは、彼がライトから学び、自分のものにした「全一なる対象として建築を考える」という哲学から生まれたものでしょう。修築のプランを考えているときに、遠藤と私が重なったように感じたこともありました。

それには、私が修築を手掛けた年齢と、遠藤が加地邸を設計していた年齢がほぼ同じだったこともあるのかもしれません。100年前の遠藤さんを尊敬しつつ、思考を辿るようにプランを考えていきました。

武井:できるだけ残しながら、快適な宿泊を提供したいという私の思いを、神谷さんは理解してくださった。そして、革新的なプランを次々と出してくださいました。

会話は暖炉の炎の周りで生まれる

神谷:現代のライフスタイルに合わせ、アップデートするには、現代的な設備が必要になる部分がありました。その一つが、武井さんの「暖炉が欲しい」という強い思いを受け、テラスの中心に設置したEcoSmart Fireです。扱いが簡単で、煤や煙も出ませんので、炎そのものを楽しんでいただけます。

滞在する方が集まれるように、周辺に現代の加工木工でつくった木製のベンチを設置しました。デザインは、ランダムに積み上げられている大谷石の柱のデザインを応用し、空間に統一感を持たせました。

武井:炎のゆらめきを感じつつ、木々のわたる風のささやきが楽しめるこの場所は、宿泊したお客様から、好評をいただいています。

神谷:ライトは暖炉を人のコミュニケーションの核として位置付けていました。炎は見ているだけでリラックスしますし、雑念が消えていくような感覚があります。団欒は暖炉の炎の周りで生まれます。このテラスで、今までも、そしてこれからも多くの会話が生まれるのでしょう。

修復前は室内として使われていた空間をオープンテラスに変更。ベンチはあえて凹凸をつくり、滞在する人が心地よい距離感を作れるような工夫がされている。

武井:加地邸には薪の暖炉もあり、ビリヤード室、食堂、サロンに設置されています。実際に使ったことがあるのですが、炎があると不思議と心が安らぎます。これは人間の本能なのでしょうか。

神谷:そうかもしれません。僕がデンマークの建築事務所で働いていたとき、体調を崩して病院に行ったことがありました。そこで驚いたのは、待合室にろうそくの炎がゆらめいていたこと。照明としての役割もあるのでしょうけれど、雰囲気をゆるめる働きもしていたように思います。

加地邸の複数の暖炉は、賑わいを生み出したり、リラックスさせたりたり、時には集中させたりする、多くの役割を果たしていたのだと思います。今、こうしてEcoSmart Fireの炎を見ながらテラスにいると、加地邸は光と風、そして炎の家なんだなと改めて思います。

武井:自然の四元素は、古代ギリシャ時代に、土・空気・火・水とされました。加地邸では、その全てを感じられます。

神谷:展望室から海が見えますしね。

自然と一体化する心地よさ、連泊する人が多数

武井:神谷さんがヨーロッパで生活していたことが、この修築にインスピレーションを与えたことは、今お話をしてわかりました。ビリヤード室だった空間にも大きなカウンターを設けて、どこか海外のような雰囲気です。

神谷:既存の木材に合わせて、似た質感のものを吟味しました。床材、照明、調度品をできるだけ残しています。この時代の建物は、ほとんどなくなってしまっているので、体験価値は高い。連泊する方が多いというのもわかります。

武井:多くの方が2泊され、海外からのお客様は1週間以上滞在していただいたこともありました。実際に泊まることができる、ライト哲学を反映した建物は、おそらく世界で加地邸だけだと思います。

ビリヤード室の暖炉や照明は、ボールをイメージして円形の装飾がされている。ソファは、遠藤がデザインしたものを修復。空間には新たに六角形のテーブルと三角形のスツールを複数設置した。この部屋は喫煙を想定しており天井が高く、風が通るように設計されていた。建物全体の換気が考慮されていたから、湿気による損傷が少なかった。
時間の移ろいと共に表情を変える庭を眺められる、サンルーム。三角形や六角形を重ねた遠藤の建築の特徴が現れている。家具や照明も遠藤がデザインし、「全一」の思想を感じられる。
照明は部屋の中央に置くことが多いが、ここでは自然光が入る時刻を考慮し、柔らかい光の中、快適に過ごせるよう工夫がされている。市松模様のデザインも遠藤によるもの。
1階のサロンはパブリックスペースでもある。加地邸を見ていると、私邸でありながら公私のゾーニングがされていることに気づく。加地夫妻は海外生活が長く、建築にも造詣が深かった。

武井:加地邸は回遊しながら上下に移動していくような、独自の動線も特徴です。玄関の右手にはサンルームを有する吹き抜けのリビングがあり、その東西には、中2階のギャラリーが備えられています3室の寝室、客室、書斎があり、2階の南側の展望室からは相模湾が一望できます。

2階 展望室

建物を現代的に解釈、広く吹き抜けがあるバスルーム

神谷:美しい建築の滞在は楽しめますが、施設には強烈な魅力が必要です。そこで、文化財保護の制約が少ない、地下のバックスペースには大胆に手を入れました。倉庫だったスペースをバスルームにしました。大きなバスタブを入れ自然光が楽しめますが、何かが足りない。そこで、女中さんの部屋があった上階の床板をはがし、吹き抜けにしたのです。

武井:約100年前の梁が出て、新旧の建築文化を感じられる空間です。バスタブは浅い部分と深いところが分かれており、日本の入浴スタイルも体験できます。

神谷:朝は美しい自然光が入りますから、気持ちいいでしょうね。

武井:はい。とても好評です。加地邸は建築の美しさを心ゆくまで堪能でき、さらに居心地の良さを兼ね備えているから、リピーターの方も多いです。

3〜4人は入れる大きな浴槽。半分は寝湯になっている。建物に多用されている 大谷石は水回りに向いていないので、同じ栃木産の芦野石で仕上げた。バスルームの扉の取っ手は、神谷さんがデザイン。ライトの住宅の名作「落水莊」をモチーフにしたという

武井:この建物は、気がいいと申しますか、ゆったりした時間が流れています。私も滞在したのですが、皆が穏やかに、心晴れやかに過ごせるのです。敷地に入るまで抱えていた感情が、スッと消えることを感じます。

神谷:自然と一体化していますからね。滞在しているだけで、あるべき姿に戻るのでしょう。また、ダイナミックな大谷石、建具周りの繊細さなど、バランスが秀逸なのです。心地よい調和を視覚で感じます。

結婚式会場としてのニーズにも応えられる

武井:加地邸は人気ドラマや、著名なアーティストのPVに採用いただき、存在を広く知っていただきました。先日は、50人規模の結婚式の会場として使われたのです。

優しい自然光が入る寝室は、結婚式の時は控え室、休憩室としても使用できる。寝室の壁は元あったものを磨き竣工時の色を確認。オリジナルの壁板に合わせる素材の選定を繰り返し、北海道産のナラ材に決定。この材で、ヘッドボードや建具、家具を設えた。

神谷:さらに加地邸は本格的な厨房を備えており、ケータリングも対応。広い庭もありますから、心にのこる結婚式になったことが想像できます。

武井:はい。とてもいいお式になったと聞いています。重ね重ねになりますが、この建物はゆったりした時間が流れています。皆が穏やかに、心晴れやかに過ごせるのです。敷地に入るまで抱えていた感情が、スッと消えることを感じます。

神谷:庭と建物の調和がとれて一体になる「庭屋一如」な空間だと感じています。イベントの時などは、庭に設けても面白いかもしれません。僕は屋外に炎を置くのも、いいアクセントになると考えています。

武井:加地邸を譲り受けたとき、人類の宝を任された責任感が強くありました。今、こうして改めてお話しすると、宝物がさらに宝物になったような気持ちです。神谷さんはじめ、多くの方の思いが詰まっている建物です。建物の保存と活用を次世代に繋げる礎になりたいと、常に願っています。

ーーフランク・ロイド・ライトの愛弟子・遠藤新が手がけた宿泊施設『葉山 加地邸』。自然と一体となる感覚や、約100年前の上流階級の人々の生活を、最新の設備で体験できる、稀有な宿泊施設だ。心地よい滞在経験が、保存や存続のための一助にもなっている。葉山の美しい自然を感じに、足を運んでみたい。

築90年以上の加地邸は、木造(一部鉄筋コンクリート)2階建て(一部地下室)という構造で、敷地面積は1129m²、建築面積は219m²、延床面積は364m²という広さをもつ。竣工当時の銅ぶき屋根を生かしつつ、外観は全体的に補修。ライトのランドスケープの事例に倣った植栽を行い、プレーリースタイルを再現した。


葉山加地邸

住所:神奈川県三浦郡葉山町一色
電話:044-211-1711(unico事業部)
1928(昭和3)年竣工の宿泊可能な登録有形文化財。カミヤアーキテクツ独自の歴史遺産建築の再生手法『CREATIVE PRESERVATION』[創造的保存]で修築。ライトのプレリースタイルを体験できる。最大宿泊人数6名、料金1泊38万200円(税込)※季節変動あり、チェックイン15:00〜18:00・チェックアウト11:00、夕朝食|なし(ケータリング、提携シェフの出張料理ほか対応)

http://kachitei.link

インタビュアー

前川亜紀

撮影

森崎健一

『葉山加地邸』オーナー

武井雅子

『葉山加地邸』オーナー。2016年に加地邸を継承後、2年かけ加地邸の保存会、専門家、町内会と協議を重ね、保存の方針を決めていく。当初、イベント会場やギャラリー、撮影会場として貸し出していたが、2018年新民泊法により宿泊用途での活用を決める。その後、大規模な修築を行った

『葉山加地邸』オーナー

武井雅子

『葉山加地邸』オーナー。2016年に加地邸を継承後、2年かけ加地邸の保存会、専門家、町内会と協議を重ね、保存の方針を決めていく。当初、イベント会場やギャラリー、撮影会場として貸し出していたが、2018年新民泊法により宿泊用途での活用を決める。その後、大規模な修築を行った

建築家

神谷修平

1982年愛知県生まれ。早稲田大学建築学科卒業後、建築家・隈研吾氏に師事。2016年文化庁新進芸術家海外派遣制度で、デンマークのBIG(BJARKE INGELS​ GROUP)に入社。シニアアーキテクトとしてプロジェクトリーダーや大規模高層ビルを手がける。2017年にカミヤアーキテクツ一級建築士事務所を設立。『傀藝堂』『HARIO Satellite』ほか多くの話題の建物を手がける。

建築家

神谷修平

1982年愛知県生まれ。早稲田大学建築学科卒業後、建築家・隈研吾氏に師事。2016年文化庁新進芸術家海外派遣制度で、デンマークのBIG(BJARKE INGELS​ GROUP)に入社。シニアアーキテクトとしてプロジェクトリーダーや大規模高層ビルを手がける。2017年にカミヤアーキテクツ一級建築士事務所を設立。『傀藝堂』『HARIO Satellite』ほか多くの話題の建物を手がける。